第二次世界大戦における終盤の攻防戦における本土決戦において、数多くの非戦闘員である住民を巻き込んだ戦争の舞台となってしまった沖縄ですが、その際に沖縄陸軍病院勤務の看護要員として負傷した日本兵の看護全般のみならず、生活を継続するための水汲みや、負傷して亡くなってしまった人の死体を埋葬するなどのかいがいしい世話を一手に引き受けて実施していたのがいわゆる【ひめゆり学徒隊】と呼ばれる女子学生達でした。 その壮絶な運命を背負って精一杯人生を駆け抜けてきた女子学生達の、間違いなく生き抜いてきた証を感じることのできるのが糸満市字伊原に位置する、『ひめゆりの塔』および『ひめゆり平和祈念資料館』となっております。
ちなみに沖縄師範学校の女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒達総勢222人が在籍しており、その女子学生達に勉強やさまざまな指導をしていた教師18人がいました。
ひめゆり平和祈念資料館では、上記の学生達の戦争の惨禍に遭遇してしまう前の素顔や、沖縄陸軍病院に配属(動員)された後の筆舌に尽くし難い実態の記録、および戦後の平和への祈りを含めて、第1展示室から第6展示室までで構成されております。 上記資料館には2,200人/日が訪れ、さらにひめゆりの塔にはそれを上回る人々が平和への想いを強くして行く場所として観光名所となっております。